言えばなこと


「お勝手口で泣いているんだ。あたしも慰めようがなくて、途方に暮れていたところさ」勝手口の外側で、従弟の直が膝を抱えて座り込み、丸くなっていた。
もう泣き疲れてしまったのか、赤い目をしていたが涙は止まっていたようだ。

「直、何しているの?」
「……まあちゃん……」
「そんなところに座っていたら、冷えておなかが痛くなるよ」

優しい従兄の姿を見て、直の涙腺は再度緩んだ。

「まあちゃん。ぼくね、クレープ作ったの……」
「クレープ?直はそんなのが作れるのか。すごいな」
「……お……父さん……作っちゃダメだって……お誕生日おめでとうっていうつもりだったのに……」
直の足元には、一生懸命作ったらしいクレープの残骸があった。どうやら叔父は、皿ごと投げ捨てたらしい。

「捨てられちゃったの……」
「そっか。叔父さんは考え方が古風だもんな」

脳裏に傲岸不遜な叔父の顔が浮かぶ
ふと見れば、たくさんの蟻が集まって来ていた。

「きっと、これすごくおいしいんだね。蟻さんが大喜びだ。叔父さんも一口食べてみればよかったのに。そしたら、直がどんなにこれを上手に作ったかわかったのに」
「まあちゃん……ぼくね、すごく悲しかった……」
「うん。頑張って作ったのに、捨てるなんてひどいね。直は、叔父さんがおいしかったよって言ってくれるだけで良かったんだろ?」
「……ん……」

とうとう直の涙腺は決壊し、ぽろぽろと頬を伝った。小さな直が、どれだけ頑張ったか正樹にはよくわかる。
手にはいくつかやけどの跡があった。背の低い直の腕が、テーブルの上のホットプレートの縁に当たってしまったのだろう。
母の居ない直は、父をすごく慕っていたが、事業の忙しい父が息子を顧みることはほとんどなかった。祖母と家政婦に預けていれば、何事もなく育つと思っていたのかもしれない。
だが、この多感な少年は、いつも父の手を求めていた。
正樹は縋りついて泣く少年の、体温を感じながら頭を撫でてやった。
震える直の胸の痛みは、親と相いれない自分の痛みと同じものだ。

きっと直も自分と同じような生き方をするのだろうと、予感がした。自分に絵があるように、直にも好きなものを大切にして欲しいと、正樹は思った。
後悔をしない生き方は難しいけれど、それでも自分で選択した生き方をしていれば、立ちはだかった困難にも勇気をもって立ち向かえる。それは自身が経験済みだった。
ちゃんと伝えても、直に理解できるかどうかわからないが、正樹は試みた。
フリッツが自分にそうするように、懐の心もとない存在を、ぎゅっと抱きしめた。

「直、あのね……」
「うん……」
「直は、そのままでいいんだよ。直はこれからも自由に生きるんだ」
「自由に?お父さんが駄目って言っても、お菓子作ってもいいってこと?」
「そうだよ。直の思った通りに生きていいんだ。誰が反対しても、僕はきっと直の応援をする。大きくなってどうすればいいか迷ったら、自分の心に聞いてみて。一番そうしたいって方を選ぶんだよ」
「……まあちゃんも?」
「僕もそうして生きてきたよ。例え誰かを傷つけるようになっても、自分を曲げちゃいけないときはきっとくる。直が自信をもって、真っ直ぐに生きていたらきっとみんないつかはわかってくれる。本当の直を好きになってくれる人が、絶対に現れる」
「本当のぼく?」
「そうだよ。僕にだって現れたんだから。直も好きなものを好きだと言っていいんだ。好きなものを好きって言える直を、きっと好きになってくれるよ」
「そうかなぁ……」

正樹の言うように、父がお菓子作りを簡単に許してくれるとは思えなかった。
直の心にその時、正樹の気持ちが響いたかとそれはわからない。ただ、その後、会うたび幾度となく繰り返された正樹の言葉は、いつしか直の内側に刻み込まれ生きてゆく指針となった。
好きなものを一途に好きでいる事は、簡単そうでいて、大人になるにつれ難しくなってゆくが、直は諦めなかった。
父の期待を裏切って、自分で見つけた道を、正樹と同じように歩いてゆく。やがて結果を出して認めさせるまでになるが、それはまた違う話で完結する。表門を出たところで、名前を呼ばれ振り返った。
祖母が手招きしているのに気づき、足を止める。別れの挨拶をしていなかった。

「直はもう泣いていないよ、おばあちゃん。心配しなくても、結構芯は強いみたいだ」
「正樹と同じで、直も見た目があんな風だから弱々しく見えるけど、案外骨っぽいのかね。あたしが見る限り、あんたたちは、よく似ているよ」